海士町での衝撃
海士町・・・かいしちょう?
いえいえ、「あまちょう」と読みます。
島根県にある離島で、地方創生の先駆け的な取り組みが注目されている町です。
取り組みの一つに、高校魅力化プロジェクトというのがあります。僕は、これに今かなり影響を受けています。
この高校魅力化プロジェクトというのは、島の唯一の高校である、島前高校を魅力化していくことを通して、人口減を食い止め、むしろ島留学してもらうことで、島を存続そして繁栄させていこうというものです。
様々な取り組みが功を奏し、現在は文科省のスーパーグローバルハイスクールにも認定されています。
僕が影響を受けているのは、島前高校そのものというよりは、そこに通う生徒を支える体制です。
具体的には、
これはどういうものかというと、島前高校に通う生徒たちが放課後学ぶ場所なんです。
学校とも連携しながら、地域で生徒の勉強の面倒を見る取り組みです。
9月に視察に行った時、僕はその場所に、どこかあたたかさを覚え、受験だけでなく将来のことも考えさせる方針に感銘を受けました。
今の居場所づくりに大いに影響を及ぼしているところです。
その学習センターの小学校バージョンのようなものにできたらなぁと思っております。
子供にとっては、放課後宿題したりちょっとした遊びをしに来れる場所。 そして運営側は学校とも連携して、地域で子供を支えて行く。
そうすることで、子供にとっては勉強できたり居場所ができるからよくて、
忙しい親の負担も減らすことができて、家にゆとりのある空気が流れて、
子供が安心して生活できて落ち着いたり、クラス内の学力格差を縮小できれば、先生も授業をしやすくなる。
そんな地域にしていけたらと思ってます。
おしまい
一週間後にひかえて
ついにはじまります。
居場所作り学習環境の提供をしたいという思いがある中で、来週から学習支援がはじまります。
まずは、公民館の一室で。
8名の参加もきまりました。
子供達にとって、学びのある、かつ居心地のいい場所にしたいなぁ。
場所のイメージ
実は、こんな感じの場所が作れたらなというイメージがあります。
それは、いま活動してる私立の学童のような間取りです。
静かに勉強するスペースと、はしゃいでもオッケーかつ勉強もできるスペースが引き戸で分けられていて、
各部屋とも横長のセンターテーブルが、5つほど置けるようになっているんです。
1つのテーブルに小さい子だと4人
小学校高学年以上は3人か2人座れます。
なので、同時に少なくとも20人ほどはいれるのです。
小学生と中学生で時間を分ければ十分すぎる大きさです。
ちなみに、風呂はついてないですが、キッチンとトイレがついています。
居場所作りをしようと思い立つ前までは、学童での活動がこんな形で役に立つとは思いもしませんでした。
いつ何が役に立つかわからないものです。
課題はお金です、
そんな広いところ果たして買えるのか、
がんばります。
塾と学校の違い
ある子の親が、ある塾の先生に対してこんなことを言ったそうです。
「勉強は、塾でやってればいい。学校の勉強なんか、遅れてるんだし、学校なんか行かなくていい」
その発言に対して、塾の先生は、このような感じで反論したらしいです。
「そもそも、学校は人格を形成する場。塾は、ただテストでいい点数をとるために行っている場。目的が違いすぎる。人格形成に寄与している学校の先生には、敬意を払います」
私も同感なのですが、もう一つ思うことが、「学力」の捉え方の違いです。
塾は、受験に成功するために行く場であり、志望校合格のためにたくさんの問題を解けるようにさせてくれる場です。学力を上げてくれる場です。
でも、ここでいう学力とは、いろんなことを知っている、とか、読む能力がある、とか、算数の問題を解ける、とかそういうものです。
一方学校でつかわれる学力には大きく分けて4つあります。それが、 関心・意欲・態度
知識・理解
技能
思考・判断・表現 です。 (新学習指導要領では、3つに絞られ、学びに向かう力、知識技能、思考判断表現となっております)
たとえば、学校で学んだことから興味をもったことを本で調べる態度や、既習事項から考えて課題を解決しようとする試み、さらに自分の考えをわかりやすく伝えること、なんかも学力に含まれます。
塾での学力は、上でいう知識・理解と技能に偏っていると思われます。(ほかがまったくないとは言いませんが)
このような違いが出るのには理由があると思います。
学校で使われる学力の定義は、中教審や部会で学者など有識者を交え綿密に議論されて決定しています。世の中の要請をうけ、人間に必要な能力とはなんなのかを徹底的に吟味した上で決められています。
ですが、塾は、極端な話、子供が志望校に合格すればなんでもいいのです。そして多くの受験校ではペーパーテストを採用しており、その内容は私立なんかは、学校が独断と偏見で決めています。
なので、学校での取り組みと、塾での取り組みが異なるのです。
確かに、塾で学ぶ内容の方が、難しい発展的な知識や技能を要するので、一見高度に見えますが、 私は、学校の方が、「学力」の定義をより厳密に精査しているという点で、子供の本当の意味での学力を身につけられる場所だと思っております。
おしまい
今、居場所作りがもとめられるわけ3
「そういう場って本当に必要だよね」
僕が、学習環境の場、並びに居場所作りをしようとしていることを知り合いに話すと、このような反応が返ってくることがしばしばあります。
中には、自分の子供を取り囲む環境を例に出しながら、「もしそういう場があったらよかったのに・・・」といってくださる主婦の方もいまして。
その主婦の方がおっしゃるには、自分の子供の学校では、学力格差が本当に激しく、塾に行っていない子で落ちこぼれてしまう子がいたそうです。
それだけでなく、学区の中学校が、小中一貫校でもあるために、下から上がってくる子と、他の小学校から入ってくる子でも、壁があったそうで、中学校がわりかし多くの子供にとって、居場所になれてなかったと。
そういう子は、勉強にもついていけないようだったと。
原因を探ると、進学の構造や、中学校のクラスをまとめる先生の力、あるいは家庭環境など、いろいろな原因があるのだと思いますが、
少なくとも勉強についていけなかったり、居場所がない子に、場所を提供したり、勉強の支援をすること自体には価値があると再度思わされる事例でした。
このように、自分の活動を応援してくれたり、その必要性を認めてくださる方がいると、背中を押される感覚を覚えます。
自分が尊敬する武井壮さんも言っていました。
「仕事で帰ると疲れてて早く寝たいけど、自分のことを応援してくれる人がいると思うと、簡単にジャージに着替えてトレーニングできるんだ」と。
自分の背中を押してくれる人たちの存在があるからこそ、前に進める。
考えてみたら、これまでそんな経験なかったように思います。
だから今の挑戦は自分にとって貴重です。
おしまい